八ツ屋blog

@anytime @anywhere

外的世界への発信

今日は特別にもう一つ書きたい。

 

自分の軸と方向性、どんな大人になりたいかは朧げながら形を成し始めた。

内的世界の構築と外形は作れそう、そういった感覚である。

 

あとは、、

外的世界に何を発していくか。

自分から何をこの世界に届けるか。

 

今観た映画の監督にしろ、尊敬するwebデザイナーにしろ、お世話になった社長にしろ、同年代で名をあげ活躍する人にしろ、自分でこの世界に何を与えるか、何をして生きていくかが明確に定まっている。

 

では自分は、、、??

何を発信していくべきなのか?

この世界には何が足りないのか、この世界に届けたものは何か?

現実を見る必要はない、だれも想像しなかったものを、
理想でいい、

それを考えろ。

 

いかに具現化するかは、
どうにかなるし自分の得意分野。

 

何を残すか、それだけに集中しろ。

 

 

 

 

 

頂いた命を最大化させるように。

どうも。八ツ屋です。

 

現在大学4年なんですけれども、

就活を通して自己とは何かを考えた。

 

何が得意で、人と何が違って、何に関心があるのか。

自分は周りに合わせるタイプで自己紹介も事実や肩書を並べるばかりで自己をどう表現するかが分からず苦手だった。

 

深夜に考え続け、沢山のブログを読み、また考え、

何とか形になってきた。

 

自分の軸もなんとかできて、
強くなってきた感覚がある。

 

身体が心を作るという古くからの黄金律に目を向け、

週に一度ジムで体を鍛えるようになった。余談だが筋肉は三か月で定着するらしく、最近になってようやく輪郭が定まってきた印象だ。身体の無駄がなくなると心の無駄もなくなるように感じる。

 

あとは人間の余白を如何に魅力的にするかに残りの学生生活を注ぎたい。

人間相手に社内営業・社外営業するにしても、
外界にアピールするにしてもその魅力の有無が自分の理想を叶える原動力になるだろう。周りを動かす目に見えない力、自分に期待を持たせ本質的に信頼させられるかどうか。プレイヤーとしての能力を高め、実績を積み、自信を持ち、いかなるときも余裕を持ち、周りを許容・尊敬しエキサイトできる器を持つこと。

 

追いかける人を増やすこと。

自分を目指してくれる人を増やすこと。

自由を得るために、

強くなって、強くなって、強くなって、

一見した雰囲気でも、長く一緒にいても、

魅了し続けられるように。

そして、だれかの人生を変えて、

自分の生きた証を何か一つでも残せるように。

頂いた命を最大化させるように。

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そういうものに私はナリタイ。

I will be a gear maker.

八ツ屋です。

 

最近感覚的に掴んだことがあって、それを備忘録的に書いていこうと思ってます。

 

よく社会の歯車になるって表現あるじゃないですか。

今大学4年なので来年から就職して企業にて働くんですが、文字通り歯車になっていく訳です。

でもただ単に、無感情に、歯車になっていいのか。

ただ単に目の前の仕事を盲目に処理するのでは、ただの自分が頑張って頑張ってエネルギー使って回る歯車じゃないですか。どんなに優秀な処理をこなす人であっても抜けたらその組織のパフォーマンスは終わってしまう。組織としてそれは健全な運営とはいいがたくて、規模が小さければ小さいほどその影響は大きくなる気がします。

 

それなら”仕事”として何をするべきか。

その答えが「遺産」を残すことだと思っています。

自分ではない誰かが後釜を担当することになったり、他の人に手伝ってもらいやすいように、誰でも分かるシステムを作っていくこと。そして自分ではなく、組織を強くすること。それこそが歯車を作ることであって、遺産になるんじゃないかと。

 

こんな事、先人達が言ってきたことだと思うんですが、

それをただ読むだけでなく、感覚的に会得する、自分の肌感覚に落とし込むっていうのはどうしても転機だったり、経験をしなくちゃ得られないものです。

 

今回ある理由で、自分は社員数10名強の某IT企業のインターンを辞めることになりました。

そこでのインターン生は自分のみだったので、入れ違いで入る新入りに向けてインターン生用マニュアルを作成するという必須タスクが発生することになったのですが、それをこなしていく過程で、「残していく」業務の重要性に気づき始めました。

 

あれ、、自分がこれまでにこなしてきた企画だったり運用だったりといった様々な業務の結果は目の前の数字だけではなく、ノウハウ的な蓄積にこそ本当の価値があったんじゃないかと、、、

 

自分の中では頂いている給料分成果が出せているのかと心配している月もあったのですが、正直今回の「残す」業務で少なからず取り返せたかもな、とふと思いました。

 

 

こんな感じでこの先ブログ何を書いていくか何の軸もないまま進んでいきますが、

自分を発信する、これも一つの自分の生きた証を「残す」行為だと信じてなるべく頻度多く呟いていけたらと考えていますので、引き続き宜しくお願い致します。

 

もしよかったらいいね頂けると!!

 

Hello World!(インターネットに救われた話)

今日から日記を始める。

毎日思ったことを書いていこうと思う。正解かどうかは置いておいて、自分がそのときどう感じて生きていたのかを残していきたい。1人でも誰かが読んでくれたらいいな。

 

思考、考えることが好きだ。そして、インターネットが好きだ。

 

小さいときから、周囲の目を気にして生きてきた。

家族、友人、学校の先生、街ゆく人々…。あらゆる他人の目が自分に向いていると感じ、どう思われているのか、陰口を言われているのか。そればっかり気にして、聞き耳を立てて、口の動きを観察し、そうやって怯えながら、精神を消耗しながら、生きてきた。何も持っていない自分をつまんないと嫌われるのが嫌で、休日も友人と遊ぶことはほとんどなかった。遊ばないで家にいるのが"習慣"になっていたのかもしれない。そういうこともあって、他人とコミュニケーションを取ることと、特に本心での意思の疎通があまりにも少なかった。だから余計に他人の気持ちが汲み取れなくなる。高校、大学と進学していくにつれて、周りの思考も”大人”になっているんだと思っていても、自分と比べた時にそれがどうなのか。自分は正常値なのか、異常値なのか。幾つかの評価軸を取ったとして、自分のポジショニングはどこなのか。自分は他人と比べて何が好きなのか、何が嫌いなのか、得意なのか、苦手なのか。学校で測られる学力テストと身体測定、体力テストは、あくまでその分野において有能かどうかを数値化するだけだ。そういったものでは測れない"人間性"みたいなものが知りたかった。周囲の思考が分からないから自分を客観的に見ることができなくなっていた。

高校卒業時、Twitterを始める。

多分このタイミングは周囲に比べてどちらかというと遅い方で、というのは、それまでSNSに疎かったし、ネットに対して陰口や悪口の温床でしかないというネガティブなイメージを持っていたために、傷つきたくない僕は本能的に避けていたことが影響したのだと思う。

大学に入学してからはスマホを使う時間が増えた。高校では考えられなかったが講義中も使えるし、何より通学に要する4時間という膨大な拘束時間がそうさせた。必然、Twitterやブログを見る時間も増え、ネットの本質を深く知ることになる。僕にとって知り合いの”思考を傍受できる”というのは革命だった。みんなこの時間はこんなことを考えていて、ある物事に対してこういうリアクションを取って、全てが手に取るように分かる。言葉遣いももちろんだし、今まで全く知らなかった趣味嗜好の種類・入り込みの程度まで知り得ることができた。「自分もそう思ってた!」というような共感ポイントが予想以上に沢山あった。みんな同じことを思ってたんだ…。"分からないものは怖い"とよく聞くが、逆に言えば"理解できると安心する”

この世界に生きることに安心した。”赤の他人”だと思ってた人が血の通った友人に思えてくる。知り合いにリアルで会った時にも安心して接することができるし、こちらの安心感がおそらく相手にも伝わって以前よりも心を開いてくれるようになり、相乗効果のように気心の知れた友人が増えた。

 

インターネットは僕を救ってくれた。