八ツ屋blog

@anytime @anywhere

Hello World!(インターネットに救われた話)

今日から日記を始める。

毎日思ったことを書いていこうと思う。正解かどうかは置いておいて、自分がそのときどう感じて生きていたのかを残していきたい。1人でも誰かが読んでくれたらいいな。

 

思考、考えることが好きだ。そして、インターネットが好きだ。

 

小さいときから、周囲の目を気にして生きてきた。

家族、友人、学校の先生、街ゆく人々…。あらゆる他人の目が自分に向いていると感じ、どう思われているのか、陰口を言われているのか。そればっかり気にして、聞き耳を立てて、口の動きを観察し、そうやって怯えながら、精神を消耗しながら、生きてきた。何も持っていない自分をつまんないと嫌われるのが嫌で、休日も友人と遊ぶことはほとんどなかった。遊ばないで家にいるのが"習慣"になっていたのかもしれない。そういうこともあって、他人とコミュニケーションを取ることと、特に本心での意思の疎通があまりにも少なかった。だから余計に他人の気持ちが汲み取れなくなる。高校、大学と進学していくにつれて、周りの思考も”大人”になっているんだと思っていても、自分と比べた時にそれがどうなのか。自分は正常値なのか、異常値なのか。幾つかの評価軸を取ったとして、自分のポジショニングはどこなのか。自分は他人と比べて何が好きなのか、何が嫌いなのか、得意なのか、苦手なのか。学校で測られる学力テストと身体測定、体力テストは、あくまでその分野において有能かどうかを数値化するだけだ。そういったものでは測れない"人間性"みたいなものが知りたかった。周囲の思考が分からないから自分を客観的に見ることができなくなっていた。

高校卒業時、Twitterを始める。

多分このタイミングは周囲に比べてどちらかというと遅い方で、というのは、それまでSNSに疎かったし、ネットに対して陰口や悪口の温床でしかないというネガティブなイメージを持っていたために、傷つきたくない僕は本能的に避けていたことが影響したのだと思う。

大学に入学してからはスマホを使う時間が増えた。高校では考えられなかったが講義中も使えるし、何より通学に要する4時間という膨大な拘束時間がそうさせた。必然、Twitterやブログを見る時間も増え、ネットの本質を深く知ることになる。僕にとって知り合いの”思考を傍受できる”というのは革命だった。みんなこの時間はこんなことを考えていて、ある物事に対してこういうリアクションを取って、全てが手に取るように分かる。言葉遣いももちろんだし、今まで全く知らなかった趣味嗜好の種類・入り込みの程度まで知り得ることができた。「自分もそう思ってた!」というような共感ポイントが予想以上に沢山あった。みんな同じことを思ってたんだ…。"分からないものは怖い"とよく聞くが、逆に言えば"理解できると安心する”

この世界に生きることに安心した。”赤の他人”だと思ってた人が血の通った友人に思えてくる。知り合いにリアルで会った時にも安心して接することができるし、こちらの安心感がおそらく相手にも伝わって以前よりも心を開いてくれるようになり、相乗効果のように気心の知れた友人が増えた。

 

インターネットは僕を救ってくれた。